(現代仮名の)学習院学制

 

学習院学制(明治三十九年四月九日 宮内省達甲第四号制定)

第一条 学習院は

 両陛下の 優旨に基き華族の子女に普通の教育を施し華族たるの徳性を涵養するを以て目的とす。

第二条 学習院に男子学生の為め初等学科中等学科を置き其の修業年限は初等学科六年中等学科五年とす。

 初等学科を分ちて六級とし中等学科を分ちて五級とす。一級の修学年限は一年とす。

第三条 中等学科を卒業したる学生の為め補修科を置く。其の修業年限は二年とす。

第四条 学習院に女子学生の為め女学部を設く。

第五条 女学部に小学科中学科を置き其の修業年限は小学科六年中学科五年とす。小学科は分ちて六級とし中学科は分ちて五級とす。一級の修学期限は一年とす。

第六条 女学部に中学科を卒業したる学生の為め専修科を置く。其の修業年限は三年とす。

第七条 中等学科補修科及女学部中学科、専修科の学生にして体質虚弱年齢過長等の理由に依り定則の課業を受くること能わざる者は別科生として特別の修学を為さしむることを得。

第八条 女学部に幼稚園を置き華族の幼児を保育せしむ。

第九条 学習院は華族の子女に非ざる者と雖も特に入学を許すことあるべし。

  附 則

第十条 此学制は明治三十九年四月十一日より施行す。

第十一条 此学制施行の為め必要なる規則は宮内大臣之を定む。

第十二条 現在の高等学科は当分の内之を存す。其の修業年限、学級及一学級の修学期限は従前の規則による。

 第七条の規定は高等学科に準用することを得。

第十三条 第三条に規定したる補修科は当分の内之を置かざることを得。

 


コメント

学習院は、戦前は学習院学制という法令に基づいた官立学校であったという話はよく聞きましたが、その学制原文を目にする機会はありませんでした。

このたび、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの情報を見つけましたので、この情報を元に、私が現代仮名遣い新字体に改め、適宜句読点を施した上で掲載しました。そのため、当ページの情報については正確性を保証しませんので、予めご了承ください。

ちなみに、学習院が官立に移管した1884年(明治17年)には、9月4日付の宮内省達で学習院規則が制定され、さらに1890年(明治23年)には学習院学則が制定されています。この1906年(明治39年)の学習院学制は、華族女学校と学習院が合併した際に制定された法令です。その後、1918年(大正7年)に学習院女学部が女子学習院として独立し、1922年(大正11年)に女子学習院学制(皇室令第2号)が制定されました。

なお、学習院学制・女子学習院学制は1947年(昭和22年)の教育基本法・学校教育法制定と同時に廃止され(皇室令第9号)、学習院は私立学校として再出発することになります。


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